今日メガネ曇った?

小説と音楽とTVと、街行く人の日記

『Crispy!』を聴く、浅野いにおについてつらつら考える、森絵梨佳さんが気になる(2015/5/28)

 今日も暑い一日だったけれど、夜になると風もあって涼しくなった。五月だし、まだまだ本格的な夏ではないみたい。仕事はほどほどの忙しさ。午前中はよく体を動かして、汗をいっぱいかいた。今日も良い一日だったように思う。帰り、本屋に寄って、いろいろなことを考えたら、元気が出てきた。町田康が昔、『トップランナー』に出たときに「常にアンテナを張っていたい」と言っていて、そのことをときどき思い出すようにしている。アンテナはビンビンでいたいとは思っている。それは情報のことばかりだけではもちろんない。

 電車の中ではスピッツの『Crispy!』を久しぶりに聴いた。まだ夏は始まってもいないけれど、2曲目の『夏が終わる』という曲が好きだ。スピッツにはこのアルバムよりも良いアルバムがいっぱいあるけれど、今日はこのアルバムの気分だった。『君が思い出になる前に』も入っていて、山口智子が出ているべに花油のCMにも使われていたなあと思い出した。


スピッツ / 君が思い出になる前に - YouTube

 

 

 電車の中吊り広告には『anan』が手相特集をしているとこのこと。

 表紙は浅野いにおが描いている。 

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 浅野いにおのマンガを初めて読んだのは、『素晴らしい世界』だった。なにかに共感したくて小説や漫画を読んでいる訳ではないけれど、『素晴らしい世界』を読んだときは、すごく、この作者は自分と近い気がした、それを誰もやらなかった、痒いところに手を届かせるように、あまりにも王道な方法でストレートに描いたと思った。照れや強がりやちょっとしたクセのある感じも含めて。確か18歳だった、17歳だったかもしれない、そのマンガは自分にぴたっと来た、それで、2巻も買ったのだけれど、全然、面白くなかった。あれえ?と思った。出てきた死神が悪いんじゃない、流行した病気がいけないんじゃない、連作のマンガにありがちなことかもしれないけれど、『素晴らしい世界』の「定型」が出てきてしまったような気がしたんだと思う。登場人物の不安なこともうれしいことも、1巻からありきたりだったかもしれないけれど良いと思った、2巻になると、それがぜんぜん良いと思わなかった。死神も病気も最初から作者は想定していたことかもしれないけれど、もしかしたらその「定型」を壊そうとしたのかもしれない、あるいは話を終わらそうとしたかもしれない、だからまとめようとして、面白くなくなったのかもしれない。それから浅野いにおからは離れた。

 次に読んだのは『ソラニン』だった。これが全然面白くなかった。周りでは絶賛しているし、映画にもなったし、だけれど、全然、これがなんで面白いのか分からなかった。主人公たちが覚めるのも熱くなるのも、平凡で、その平凡さが良くも感じなくて、どうした!?浅野いにお!と思った。映画も、面白くなかったはず。それから浅野いにおからもっと離れた。

 好みの問題なんじゃないの?と言われるかもしれない。

 そうだと思います。でも、それを言われると話が終わるので、続きます。

 「好みの問題」というのはその通りなんだけれど、そう言われると、なにも言えなくなる気配ってありますよね。その好みの問題がどこから来ているのか、どう人と違うのかというのが面白いのに。

 そういう近い感じで「要は結果」というのもなんだか嫌いだなと思います。仕事では特にそうでそれはまったくもって結果は大切で、正しいけれど。でもどうその結果を出すのか、結果を出している人の「要は結果」の要約されている部分はなんなのか。「要は結果」と言った時点でその「要」の部分を考えることをストンと断ち切ってしまうんじゃないか。使い勝手がよくてつい言っちゃいそうなフレーズは便利で、その通りだ、と思うけれど、でもそれ、実際はどうなん?と考えると、よく分からなくて使っている気がする。「要は結果」と使っている人で、本当に考えて使っている人は、「要」の部分を知っている、自分のものにしている人はどれだけいるんだろう?実際にできる人は、「そんなのわかりません」と言うんじゃないだろうか。それを追及し続けているんじゃないだろうか。「要は結果」と言う人は、結局のところ、なにも、堂々巡りでなにも考えてない、もしくは考えるポイントを間違っているんじゃないだろうか。でも「要は結果」と人から言われている人は、結局いま考えたこともほこりと一緒に鼻息で飛んで行ってしまうことかもしれない。でもやっぱり『要は結果』というのは面白くない。

 

 浅野いにおについてだった。そうだそうだ。

 『おやすみプンプン』は最初の方は読んだ。でもすべては未読だからなにも言えないけれど、まとめて読みたいと思っている。プンプンの造形にしたってストーリーの暗さも含めて、なにかを壊そうとしている感じがして、やっぱりそうだ、「日常」とか「現実」とかクソくらえだ、なにかが不安定で、壊れていて変なのが読みたいんだと思った。(ただ日常を描いた作品も面白いのは本当に本当に面白いです。それはもう面白いとしか言いようがない。そしてそれももちろん「変わっている」と思います)

 で、浅野いにおは面白いかもしれないと思っている。もう完結もしたし読んでみようかな。『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は『おやすみプンプン』よりもさらに良い感じ。面白い。『ソラニン』前の『虹ヶ原ホログラフ』は面白いらしい。

 結局、浅野いにおはなんだかんだ気になるというお話。

 浅野いにおは今号の『anan』とか『マイナビ賃貸』とかでもイラストを描いている。河出書房新社の『日本文学全集』の『たけくらべ』の巻でも帯のイラストを描いていた。

 浅野いにおの描く女の子はほとんど微妙な顔立ちをしている。すごく美人な人というのをほとんど描かない。可愛くない女の子を描く。可愛くないけれど可愛いという人がいる。ブサカワとか言われているのかもしれない。結局描くと大体可愛くなっちゃう。でも浅野いにおの描く女の子は可愛くない。本当の意味で可愛くない。可愛くない女の子を描く人はいっぱいいる。可愛くないけれどなんだか可愛いという女の子を描く、もしくは結局そう、可愛くなっちゃう人もいっぱいいる。可愛くない女の子を描ける人もいっぱいいる、でも大抵すごくデフォルメされていたりする。でも、可愛い可愛くないラインぎりぎり、もしくは不細工じゃないけれど、可愛くもないという女の子を描いて、可愛くならない女の子というのを描ける人はそんなにいないような気がして、浅野いにおの描く女の子はそんな感じだと思う。すごくその辺にいる子だ。それがでもちゃんとそれぞれ特徴があって、描けるのがすごいと思う、可愛くない子をちゃんと可愛くなく描けるというのは。

 それってでも好みの問題なんじゃないのか?と言われれば、まあそれはもうこれに関してはなんの抵抗もできない。

 なんてことを音楽ききながら、電車の中で考えていた。もちろん「要は結果」の部分も含めて、電車の窓の中で街が流れていくようにつらつら考えていた。

 駅前のスーパーで炭酸水を買って帰った。1リットルを買おうかと迷ったほど、炭酸水からは離れられない。

 

 楽天阪神。最後の戸村の顔が忘れられない。G大阪がベスト8に進出した。嬉しいけれど、まだまだなにも終わっていない。錦織くんの次の相手、ベッカーが棄権した。不戦勝で16強だ。休めるのはいいこと。だけれど、リズムというのはどうなんだろう。錦織くんのTwitterでのコメントはやはり紳士。

 『まれ』を見る。柳楽優弥のふらりふらり具合が絶妙。まれと圭太との仲に悩む一子ちゃんに向かっての、まれちゃんとくっついてほしい?に対して一子ちゃんがキレ、そのあとの「良い子じゃん」のセリフが今日のベストでした。笑った。

 最近気になっているCM。というか、女の人。


淡麗グリーンラベル CM アタラシイインダヨ!篇 - YouTube

 まれのお父さん、大泉洋と卓球にこうじるこの人が気になって仕方がない。

 森絵梨佳さんというらしい。可愛すぎるんじゃないだろうか。

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 でも卓球しているときの方がイキイキとしていていいなと思った。26歳かあ。

 『ar』の表紙の人か!

 森絵梨佳さんが卓球でプレイしているネットか台になりたいと思って、今日はもう寝ます。酔っていません、ノンアルコールです。